イタリア人とルームメイトだったことがある。大学3年の夏、米国に短期留学していた時だ。現地の学生が帰省している間、僕らのような語学留学生が寮を間借りしていた。8畳ほどの部屋にベッドと机が2セット。シャワーやトイレは数部屋で共同だった。
彼はファブリッツィオといった。数週間前から寮に住んでおり、気さくで人気者だった。彼が世話を焼いてくれ、僕はなんとか生活を送り始めた。昼間はクラスがあり、夜はいつも中庭で宴会が開かれていた。若者の関心はどこの国でも一緒で、誰々がかわいいとか、誰と誰がデートしたとか、そんな話で持ち切りだ。ある夜、ファブリたちと一緒に飲んでいると、突然「お前も女の子に声をかえてみろよ」と僕に話を振ってきた。「英語が話せないから」と僕は苦しい言い訳をした。なんとも滑稽だった。ここにいるのは留学生で、レベルの差こそあれ誰も流暢に英語を話せない。僕はただ怖いだけだった。たとえ英語ができても女の子に話しかける勇気なんてなかった。
ファブリは僕をなじるつもりで言ったのではない。どこに行くのも彼について行き、自分からは決して話しかけない僕に発破をかけたのだ。悔しかった。次の日からは、すれ違う人には自分から挨拶をし、輪に入って食事をするようにした。次第に友達も増え、街に繰り出すことも多くなった。
犬も歩けば棒に当たる。カフェで偶然見かけたアメリカ人の女の子に一目ぼれをした。魅惑の表情に躊躇したが、ここで話しかけられなかったら、いったい何のために英語を勉強してきたのだろう、意を決して話しかけた結果はOK。週末のデートが決まったまでは良かったが、彼女と何を話しどこへ行けばいいか皆目見当もつかない。僕には切り札があった。ルームメイトはモテ男、ファブリ。先生は隣にいる。同じクラスの女性が相手役をやり、ファブリがスマートなデートを僕に教える。こんな茶番を2時間もやれるのが若者の特権だ。
そしてデート当日。前半は順調だったが、デートが盛り上がれば盛り上がるほどスラングが入り、会話のテンポが増していく。最後は半分も理解できていなかった。電子辞書はポケットに入っていたが、この期に及んで使うことなどできない。大事なところで聞き取れない、ちゃんと返せない。期待に膨らんだデートは尻すぼみに終わった。
意気消沈して大学寮に戻ると、今夜も芝生の上のテーブルで宴会が開かれていた。デート帰りなのはみんな知っている。からかわれるかなと思ったが違った。ファブリの音頭で「ブレイブハートに乾杯」と瓶が割れる勢いで乾杯がされた。彼は僕の肩をつかんで「本当に言いたいことを伝え合うのは母国語だって難しいよ」などと言う。(どうしたらこんなにカッコ良くなれるのだろう?)ファブリッツィオは僕より1週間先に帰国した。「明日から一人で部屋を使えるぞ、ブレイブハート」と意味深な言葉を残して。
福島民報 2022年7月26日掲載
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