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「父との並走」民報サロン8月15日掲載

9年前に広告代理店を辞め、東京から福島に戻り電気工事を行う家業を継いだ。広告の仕事は大変なこともあったが、総じて楽しいものだった。楽しいから工夫もするし、仕事も認められ、裁量も増えていた。


父に会社を継いでくれと言われたことは一度もない。父と二人三脚でやってきた母が他界した時、自分でそう決断した。戻ることを告げると、父は喜びもせず、反対もせず、「継がせるか継がせないかは今後の働きぶりを見て決める」と低く言った。


その日から父を社長と呼び、昼夜、討論をする生活が始まった。父が「右と言えば左、左と言えば右」。先代と違うやり方で、しかも早く結果を出さなければ自分がやる意味はない。今思えば、大バカ者なのだが、そのときは大まじめにそう信じていた。


社員にも迷惑をかけたと思う。気持ちだけが先行し何もできない跡継ぎが現場に出てくるのだから。実際、工事士という「職人」がする仕事で、すぐに身に着けられるものは一つもない。どんなにすごいビジョンがあろうが、現場に慣れなければ何も進まないのだ。古くからお付き合いあるお客様にも、二人きりになると「とにかく焦るなよ」と助言を頂いていた。傍から見ても、私は気負って、焦って、空回りしていた。認められないことに苦しみ、これまで社会人としてやってきたことのすべてが無駄になったように感じていた。


「もう辞めよう」と何度も思いながら、それはためらわれた。社員はまじめで、のどかで、愛情深い会社なのだ。敷地には、誰かが植えたビワの木あり、たくさんの花々が咲き、今年は勝手に桃の樹が植えられていた。何がきっかけかはわからない。時間が解決していったのかもしれない。目の前の仕事に没頭すれば、自分の経験を生かそうなどという気持ちは消え、自然と持てるすべての力が動員された。それは好循環を生む。


私が代表になり、ちょうど一年が過ぎたころ、父の病が進行し体調を崩していった。緩和ケア病棟に移る時、コロナ禍で制限された少ない面会があった。

「短い時間で継がせるために、厳しく接するしかなかった。すまないことをした」

父の大きな目にあふれるばかりの涙を見たとき、戻ってきて良かったのだと心の底から思った。思いは言葉にはできず、細くなった手を握るだけだった。


100点満点の承継があるとしたらどんな形だろう。私にはわからない。それでも器用とは言えないやり取りの中で、たしかにバトンは渡されたのだ。


小さな会社でも大きな決断を迫られるときがある。

そんなときはひと呼吸おいて、先代ならどうしただろう?と思いを巡らす。8年間、毎日のように討論してきたのだ、父の打ち手ははっきりとわかる。その手が良いと思えば、素直にその通りに。自分の考えがより良いと思えば自分の考えに従う。もう気負いはない。今のメンバーと力強く進んでいこう。以前よりも少しだけ仲良く、私は今も父と並走している。

福島民報 2022年8月15日掲載

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